自分を認めてくれるのは自分しかいない
つらいとき、悲しいとき、最後に頼れるのは自分しかいません。
自分という存在がいかに大事かを今までの人生で思い知らされました。
・何かを頑張る
何かを頑張るとき、何を指標にしていますか?試験合格や新しいことを知りたいや様々です。
では、その指標から離れた行動をとった時にあなたはどう思いますか?
自分を責めますか?それとも、何もなかったように過ごしますか?
私は目標設定でいつも誰かと比べています。
~流れ~
目標設定
○○より点数をとるぞ
⇓
目標達成
○○より高い点がとれた
⇓
目標設定
△△より高い点数をとるぞ
⇓
目標達成
△△より高い点数がとれた
⇓
目標設定
これの繰り返しです。非常に極端な例だと思います。
ですが、目標達成までのプロセスが長い場合はどうでしょうか。
現在では試験が出来ないものがあり、プロセスが長くなっているでしょう。
~流れ~
目標設定
○○より点数をとるぞ
⇓
目標達成
今日は〇時間頑張った
⇓
目標設定
昨日間違えた部分を完璧にするぞ
⇓
目標達成
昨日の間違いがかなり減った
⇓
目標設定
目標達成の時にみなさんはどういう基準を設けていますか?
「今日は頑張った」と他人から認められることはありません。
結局、
「自分を頑張ったと言ってくれるのは
自分しかいないんです」
私は生きていく上で以上の言葉を大事にしています。
毎回、毎回、自分自身に問いかけてみてください。
もしかしたら自分は正直に答えないかもしれませんが、、
なぜ人のノートを写すのだろうか
なぜわざわざ黒板やスライドショーを写さずに、隣のノートを写すのだろうか。
私は、実際にやられてずっと疑問に思っていた。
正直言えば見られるのはイヤだった。
だから、どうして見るのかを自分なりに考えてみた。
なぜ人のノートを写すのだろう?
1.自分に自信がない
「自分に自信がない人は、自分の物にも自信がないのかもしれない」
という仮説を考えてみる。
つまり、ノートの書き方に自信がなく、他人はどうやって書いているのかを知らないと自分の構成が思いつかないのだ。
下はノート構成の例
ざっくりと例を載せたが、たったこれだけ。
こんな簡単なものを書くだけなのに、自信がないからと人の物を見てしまう。
2.自分の考えを持っていない
自分で考えることを放棄しているから見るんだと思う。
例えば、
学校選びでも誰かと同じ場所を選んだり、人気だからという理由で物事を選ぶ傾向がある。
私はノートは自分の考えをそのまま表したものだと思う。
上でも述べたが、構成と同じで自分の考えを持っていないから書けないんだと考える。
結論
正直、私は他人のノートを見るなとまでは言いません。だけど、毎回写すのはどうなのかな?という疑問をもとに考えました。
他人のノートには他人の考えがあり、自分の考えではありません。
もし自分の考えと照らし合わせたいのなら、見たり、聞いたほうがいいでしょう。
誰か上手な人のノートを参考にするのはとてもよいことです。今の時代調べれば
色んな人の「ノート術」などが出てきます。
それらを活用して自分だけのノートづくりをしてみてください。
受験勉強は意味があるのか 長期的な目線で考えてみた
受験勉強をだれしも経験したことがあると思います。
そこで得た知識は今、役に立っていますか?
自分が目指していた方面に必要ならば、活きているでしょう。
ですが、自分に全く必要のない分野は忘れていますよね。
私は、「社会」をほとんど覚えていないです。
なぜかという理由が最近になってはっきりわかりました。
それは、
イヤイヤやっていたからです。
受験のためだから仕方がない、と自分に言い聞かせて
語呂合わせで年号を覚えたり、人物名を何の流れも気にせず覚えていました。
それを覚えているはずがありません。
イヤだったから
早く受験を終わらせたい、その一心でした。
こう思った理由は、一冊の本に出合ったからです。
その本では、上に記したようなことが書かれており、自分と重ね合わせて、
納得させられました。
ここで私が学んだことは、
「その分野を好きになることが大前提」
当たり前のことを言っていると思いますが、本当にしみじみ感じています。
特に、最近では、習ってこなかった日本史、世界史について勉強していますが、全体を通して今までの基礎知識や、流れを考えながら勉強しているので、理解も早く、とても楽しいです。
私はこの分野の知識に触れる機会が勉強する前に比べて多くなったので、忘れることはほとんどないでしょう。
「好きこそものの上手なれ」
本当にその通りだなと思います。
なにかを勉強する際は、好きになることを前提として初めて見てください。
デマから学ぶこと
近年、SNS上でのデマ、ガセネタが非常に話題になっています。
本人からの否定の声で、「デマだったんだ」という認識を初めてする人も多いかと思います。
そこで、デマが頻発するこの時代に、デマを利用する方法を紹介します。
デマから学ぶ
情報源を特定する
デマの出所を調べます。さかのぼれば、どの媒体か、どのニュースサイトかが出てくると思います。そこを突き止めます。
そして、その出所を特定したら、そのサイトをメモしましょう。iPhone内のメモでもいいですし、Google Keepなどを用いるのもありです。
そして、題名にデマなどとつけましょう。
例:
デマ
○○ニュースサイト 1回
○○サイト 2回
こんな感じで大丈夫です。
そして、右か左に数字を書きましょう。これは、デマを載せた回数です。
ここからは私の基準ですが、私は、デマを載せた回数が1回なら、まだ安全圏だとみなします。
ですが、2回となったら危険信号を出します。
2回になったら、もうそのサイトは見ない、信じないです。
他のサイトから情報を入手します。
分かりやすい例でいうと、オオカミ少年ですね。
嘘ばっかりつくから最終的に信用を失うということです。
私はこうして、信頼できないサイトは見ないようにしています。
もし、誰かの意見が聞きたいのならば、そのサイト名で検索をかけたり、
SNS上で誰かに尋ねるのもありかもしれません。
ぜひ、気になったら、この方法を試してみてください。
今までの学校教育は間違っているのか
今までの学校教育が間違っているのではないかという疑問を誰もが一回は持ったことがあるでしょう。
私は最近、切実に思います。
(以後、私が受けた学校教育を教育として表します)
なぜかというと、英語の勉強や読書をしているときにとても感じたからです。
今までの教育はなんだったのか?
こう考えてみると、やっぱり
「テストのため」
だと思う。
生徒一人一人がどれだけ優秀であっても、それを測るものがないから、テストというものを作ったのかと考える。
そこで、優秀→テストで点数がとれるという考えは納得できる。
だが、テストで点を取らせるための授業とは??
と考えてしまう。
「ここテストに出るからね~」
よく聞いたセリフです。
この言葉を言えば、集中して聞くのだろうか。
このようなやり方をしていると、テストに出るから授業を受けるんだという考えになることもあります。ここはテストに出ないから聞かなくていいやとなって、本当に大事な部分を聞き逃してしまう可能性もあるでしょう。
私が特に思ったのは国語の授業です。
私は当時、読書を全くしてなかったので、読解力もなく、活字というものが嫌いでした。そこで、国語の授業となると、ただの地獄です。
教員が黒板に書いたものを写して終わるだけの単純な作業としか思っていませんでした。集中したのは時々、文章を読まされるので、それに備えていたくらいです。
私と同じ気持ちの人も少なくないと思います。
苦手な教科ほど、テストのためだけに受けていたので、無駄な時間を過ごしたなと思います。
本題に戻ると、
今までの教育だと何も学べないです。
ただ、私が受動的だったのも一つの要因にもなっています。
私には教育を根本を変える力はありません。
だから、他の国の教育方法を取り入れたり、自分で必要な情報を取り入れたりすることでしか変わることができません。
結局、自分が変わらないといけないと改めて考えさせられました。
現在では、オンライン講座、ネットでの学校など様々な方法があります。
それらを活用して自分の知見を広げていきたいです。
なぜ誤った情報を信じてしまうのか
自分が信じていた情報が間違っていたことはありませんか?
私は最近はほぼありませんが、SNS上でよく目にします。
なぜ間違った情報を信じてしまうのだろうか?
理由
・いいね、リツイートの数が多い
例
病気を治す方法というツイートにリツイート1000、いいね3000という投稿があるとします。
すると、「いいねがこんなに多いのなら、みんなこれと同じことを思っているんだ」
と勘違いしてしまいます。
まず、これは間違いです。
いいね、リツイートをする本人の気持ちは分かりませんが、毎回毎回ツイートの内容を調べる人はいないでしょう。
そして、例であげた、いいね3000は多いように見えてとても少ないです。
日本の人口を1億2000万人とします。言い値の数が3000です。
比率を計算すると、いいねをしている人は、全体の0.002%です。
全体でみると、たった0.002%の人の意見を鵜呑みにしていて、有識者の意見も聞かずに、自分で調べようとせずに、毎日過ごしていると思います。
有識者が間違っているかもしれない、自分が調べた情報が間違っているのかもしれない、そんな不安は二の次です。
まず調べましょう
ここで調べるか調べないかであなたの人生は大きく変化します。
仮に、調べたものが間違っていたとしても、それは経験です。
きっとあなたには調べ癖と情報の取捨選択の方法が身につくでしょう。
これからツイッターなどを見るときに、気を付けて見てください。
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疑う力を身につけるためには
疑う力を身に着けて何になるのか。
結論は、
情報の取捨選択が出来る
と考える。
私は中学、高校ではニュースにある情報はそのまま受け取っていた。
でも、それは間違いだと、正しい情報を受け取ることや読書によって気が付いた。
疑う力を身につけるために私がしていることは、
「情報に対して仮説を持つ」
こと
例えば、
「〇〇炎上!」
という見出しがあったとする。
最近はこのようなあからさまな見出しは減ったと感じるが、
「〇〇が〇〇をしたので炎上か」
というすこし匂わせたような見出しは見受けられる。
私はここで
「本当は炎上していないんじゃないのか」
という仮説立てる。
真逆じゃないかと思うが、この方法はよく使われる。
例えば、
統計の分野では「帰無仮説」と呼ばれていて、あらかじめ否定されるために立てる仮説だ。
なぜこのような仮説を立てるのかというと、私は「炎上」というものをあまり大事だとは考えていないからだ。
上記のような記事があったら、「また一部の人が騒いでいるだけだろう」と考えるようにしている。
仮説を立てることで、情報を受け取る際にそれがストッパーとなっていて、鵜呑みにすることを防ぐことが出来る。
だからって、全部に仮説を立てるのは難しい。
そんな中、仮説を立てやすいのが、「ミステリー小説」だ。
ミステリーでは登場人物の行動や感情、周りの情景の変化などが描かれているので、
「この人はこういう行動をしているので、犯人ではないのかもしれない」
といったような仮説が立てやすい。
ぜひ、ミステリー小説を読む際、以上のことに注目して読んでほしい。
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